第8回大会のシンポジウムへのお誘い

シンポジウム <『甘え』再考〜その本質と新たな展開> へのご招待

 

菊地孝則

 

 「国際的に通用する、わが国でただ一人の精神科医であった」。故人を偲ぶ席上で、ある高名な精神科医は土居健郎先生の偉大さをそのように讃え、その死を悼んだ。昨年7月5日にご逝去された土居先生は、広い視野と瑞々しい感性、そして深い哲学を持ち、常に自らの言葉で思考し語ろうとし続けた精神科医であり、精神分析家であった。そこからはたくさんの独創的な論考がほとばしり出たが、中でも最も広く注目を浴び、精神分析の領域に留まらず精神医学、乳幼児発達理論さらには比較文化論にまで大きな影響を及ぼしたのが『甘え』の概念である。その学問的、臨床的貢献により先生は、2005年にSigourney Awardという、非常に名誉ある精神分析に関する国際的な賞を受賞されてもいる。

 『甘え』は初め、欧米語の中には相当するものを見出すことのできない、日本語独特の概念であるという着眼に発したが、その一方で人間心理を理解する上では、その概念は普遍的で不可欠なもののはずであると先生は考え、さまざまな既存の精神分析概念との照合も試みていった。M. Balintの一次愛(受動的対象愛)、ナルシシズム、コンテイニング、同一化等々。はたして土居先生の思索は最終的にどこにたどり着いたのか。今日私たちに馴染みのある精神分析的諸概念と『甘え』概念とは、互いにどのような重なりと独自性、そして関連性を有しているのか、それらを総括することは本シンポジウムの重要な眼目の一つである。

 いっぽう土居先生は、医学とりわけ精神医学においては臨床こそが研究の現場であると捉え、臨床から遊離した理論を高く評価することはなかった。したがって『甘え』の概念も、臨床の現場に源を発するとともに、常に臨床に活かすことが当然のこととして探求された。しかしその概念や視点を基軸に据えた分析的臨床とは実際にどのようなものなのかは、土居先生から直接指導を受けた限られた人々を除けば、その論文・著書から垣間みる程度にしか伝播も継承もされていないように思われ、それは非常に残念なことである。したがって『甘え』の概念に依拠した分析的臨床を、愛弟子ともいえる発表者の経験を通じて生き生きと共有することもまた、このシンポジウムでおおいに期待されるところである。

 さらに『甘え』の概念は精神分析や精神療法の枠を超えて、母子関係と乳幼児の心の発達を理解する際の、重要な理論的枠組みをも提供しうるものである。乳幼児精神医学領域においてこの概念はどのような有用性を持ち、今後のどのような発展の可能性を秘めているのかというテーマも、私たちの関心を強く引きつけるものである。

 そのような関心に応えるべく入念に人選された今回のシンポジストの講演、そして指定討論者との活発な討論が、『甘え』概念の本質と新たな展開の可能性を生き生きと浮かび上がらせてくれることだろう。さらにこの概念に十分馴染みのない方から、深い考察や臨床経験を重ねてこられた方まで、より多くの方々の参加と注目が、議論をよりいっそう白熱したものにするに違いない。